躁転直下の言語録

或る人間のひとりごと

君で在るためのトートロジー

こんばんは、さなぎです。入院が仮確定したのでご報告まで。某大学付属の閉鎖病棟に入院予定です。なぜ閉鎖かっていうと、多い鎮静剤を減らす際に衝動性が出たら困るからとのこと。本当は開放より閉鎖のがお金とれるからなんじゃないの?なんて疑ってみたり。多剤も儲けになるからやっているのでは?いやいやこれ以上先生のこと悪く言いたくないな。やめておこう。

主治医からではなく私から入院を切り出したのですけどね。過去に別の病院で2週間ほど閉鎖で過ごしたことはありますが、いまの病院の病棟はどんな感じかな?レッツトライ!てな感じで少しだけ冒険心を持ってしまったわけです。南条あやちゃんチック。閉鎖なのでPCもスマホも持ち込みできませんがそのかわり日記をバッチリ書きますよ~。ここまで任意的な入院もなかなかないだろう。もはやジャーナリストの気分です。被保険者であるという自覚も少しはもたねばならんのですが。無駄にはしませんこの入院。きっちりとした生活サイクルを持って帰ります。

期間については全く決まっていなくて、それこそ任意だから1日でも退院できちゃう。先生は長くとも2か月くらいかな~と仰っていましたがわたしの希望は1か月程度です。つまり、収監(言葉が悪い)されて1か月以内に開放に移れたらこのゲームの勝者は私です。という、わけのわからないゲーム性を、短期入院に課してみる私。

でもなー、実際大学病院の閉鎖ってどんなもんなんしょ。全く話通じない系の常に叫んでるおばさんとか……廊下をオペラ歌いながら朝を告げに回ってた女の子とか……お薬フリークでとある筋から個人輸入、なんて人も前の病院ではいてましたがさて今回はどう出るか……こればっかりは入ってみねば分からん!ということでガッツリレポってきます。同じ病気の方と知り合えたらいいな、なんて。

 

さて、入院の理由ですが、最近目覚めるのが17時を過ぎるようになっていて、起きようとしても体を布団に針で縫い付けられたように体が重い。これを改善して昼間行動できるようにしたい。あと、かなり重めの鬱転してるようで、先日日雇いアルバイトへ行ってきたのですがほうほうのていで帰ってきたので、そのあたりも上手くコントロールして、勉強にエネルギーを向けられるほどのメンタルの補強、といったところでしょうか。もちろんこれら全てを投薬でコントロールできるとは思いません。入院自体がここ数年家でヒキニートだった私のリハビリの場ととらえてもいいかもしれません。

 

さあどう転ぶのか私の入院ライフ。大声あげる人がいなきゃいいんだけど……頭部CTでピアス外すのいやだけど……それ以前にいついつ入院ですって連絡はまだきてないですけどね!それまで、身の回りのものをすこしづつまとめて準備しておきたいです。

辛いわもういや、泣きたいわもうダメ

こんばんは、ここのところ、悪いこともせずに慎ましやかに暮らすさなぎです。

ODとか、ドラッグとかに、心を揺さぶられます。けれど、やっちゃだめなんです。倫理的にどうとかではなく、自分の脳に確実なダメージが襲い来るからです。リスカをしないのも同じ理由です。腕などというわりと人目につく場所にいかにも自分で切りました、という傷があるのも、10代のうちならいいかもしれませんが、25を超えるときついものがあります。

 

そうは申しましてもしらふでいる時がきついってなことはありませんか。私の場合血中濃度半減期が60時間もある薬を飲んだりしているのである意味常にしらふではないのかもしれませんが。

変な幻覚を見たり、精神を加速させたり、気絶するようにぶっ倒れたり、私はしたいのです。この欲求はじつに不健全というほかありません。

しかし悪とは手を切ったのです。だから、お金も貯まります。悪いことをするとお金が足りなくなるので、悪いことをやめると一石二鳥です。

 

あとはしらふのときに引き込まれるような中毒性のあるものを探そうかと思っています。中古でゲームでも買おうかな。そういえばまだクリアしていないポケモンがあるので注力してみたいと思います。

本業は学生なので学業第一なのですが、しらふに耐えきれなくなったらゲームやマンガの世界に飛び込みます。最近マンガもろくに読めていないので鬱、キタコレ、って感じです。

次週の通院では抗うつ剤を増やしてもらおうかと思います。というかもうね、入院を考えてたりするわけですよ。あまりにも多剤、しかし眠れないから。入院が決定したらご報告にあがります。スマホ持ち込みOKな病院だといいなあ。

東京に腐れてゆくな

こんばんは、大阪生まれ大阪育ちのニートさなぎです。

いっとき東京に住んでいました。そして東京という街に敗北して帰ってきました。そんなわけで路線図は解けないままです。

この国は何でもかんでも東京ですね。そしてその中でも23区が強い権力を有していますね。さらに23区の中でも格差があったりなかったりしますね。9割の人間が都民ではないというのに、だいたいの漫画の主人公が東京人だというのが腑に落ちません。

私は対抗して津軽海峡冬景色を聴きます。上野駅(私がよく使うのはバスタ新宿ですが)から帰ります。演歌はいいですね。東京度合いが低いです。

東京に住んでみて、イオンがないことに戦慄しました。ぜんぶ西友。しかもあまりおいしくない。でもかなりの深夜まで営業している。そこは利点でしたが。

もちろん東京にもいいところはたくさんあるんだけど、今回は県外からですからね、田舎コンプレックスを持っていますしね、いいところは割愛させていただきます。田舎のいいところは……まず家賃が安い。物価が安い。食べ物が安くておいしい。新鮮。

東京みたいに人の波に流されて自分を見失うなんてこともありません。阪急電車の終電で帰ろう。阪急梅田のホームは日本最大の櫛形ホームなのです。今の一文は関係ありませんでしたね。帰ってきた私が思うのは、精神的にだいぶ楽になった!ということでしょうか。おっぱぶで働いて、デリヘルで働いても日々消えてゆく身銭。これは恐怖というしかありません。本当にやりたかったことが何かも分からないまま、私は大阪の実家へ帰るはこびとなったのです。

東京は決して悪いところではありませんし、職も夢もあふれる場所だと思います。ただ、上京を迫られているような状況でないのであれば、無理に進出するべき場所ではないのではないか。インターネットの普及も現実となったわけですし、よっぽどのことがない限り無理に上京などしなくても良いと思うのです。

たまには帰郷して親御さんに元気な顔を見せてあげてください。

孤独なおともだち

こんばんは、眠れぬ夜のさみしいお友達、さなぎです。

昨日母に何気なしに「年金の遡及分で奨学金返せたんだから、また奨学金借りて専門学校にでも行ってみれば」と言われました。せっかく無借金人生を謳歌しているのにまた借金の話ですか。

しかし、学生に戻りたい……その一心で専門学校を検索していました。さっきまで。やりたいこともいろいろあって、服飾、アニメ・マンガなどなど。しかし服飾の学校に着ていく服がありません。どうせ周りはヘアメイクバッチリな原宿系おしゃれピープルばかりです。そんな中で26歳大人しめ普通地味ファッションは浮きます。私はデザインではなく縫製を学びたいのに。アニメ・マンガに関しては着ていく服はあるものの就職実績が???です。疑問符がいくらあっても足りません。高校時代、アニメ系の専門学校のオープンキャンパスへ行き、そこで見た学生制作のアニメ映画が微妙だったことは今でも忘れられません。マンガ系の学生による同人誌のようなものももらいましたが正直家で好きな漫画100回模写した方が実力がつきそうでした。さんざんに言ってすみません。ちゃんと在学中にデビューした方もいらっしゃいました。が、一握りなんだろうな。だいたい18歳の中に26歳が混じるというのには違和感がありすぎます。

 

よって専門学校行きは現時点ではやめておきます。とにかく借金ですからね。手淫風俗店に行くくらいの度胸はありますがそこまでの情熱はありません。

端切れを集めてきてドールのお洋服を作ります。チラシの裏にイラストを描きます。これが生涯学習の新しい形、というか成れの果てです。

とか言ってる間に通信制大学のテストに追われます。選択肢の多い人生でした。

すべて後の祭り

きのうデパスをODしてしまい死んだように眠っていました。後悔先に立たず、後の祭りですね。

後の祭りというのが今回のブログのお題なのですがなかなか難しいのぶつけてくるなあ。私の人生後がないんです。26歳にして職はなくたまにある日雇いのバイトでお小遣いゲットしてすべてたばこ代に消える日々。いつ、この祭りは終わるんでしょうか。そもそも祭りなどと言える人生なのだろうか。後悔のないようにするのはどんなに頑張っても無理だと思うので、その後悔の分量をできるだけ減らしたいです。

と言いながら悪いことはたいていやってきました。悪いことは悪いのでここには書けません、が、それらをやって良かったのか?悪かったのか?私には判断がつきません。後悔はちょっとだけした。そのことについてはいつか書くかもしれないし書かないかもしれない。

私の人生における祭りは、2016年に躁転して東京へ繰り出したことでしょうか。歌舞伎町はたいへん華やかでした。住んでいた高円寺もニッチで楽しかったです。しかし、当時現地で付き合ってた男の他に別の男を作るなどし、後片付けが大変で、また、チンピラスカウトに「俺の紹介した店で働かないとどうなるか分かってるんだろうな」などと脅迫されており、それらをすべて清算するために実家のある大阪に帰ってきた次第です。帰阪する際はもう躁状態は終わっており、じんわりとした鬱の中を夜行バスで走り抜けました。

さて、その祭りの後始末が思ったより大変でした。何しろ大阪と東京、引っ越し屋さんに頼めるほどモノも置いてないボロ部屋で、ヤマトから段ボールをいくつか買って宅配便で送ってもらうという手段をとりました。引っ越し祝いに買った2万円くらいの冷蔵庫は2千円くらいで売られてゆきました。

派手に祭りをするときは、後片付けのことも考えてやらねばなりませんし、私のように躁転して何かを始めるというのもよくないことです。

書いていてあの頃の苦労が身に染みてきたので、今回はここまで。

君がすさんだ瞳で強がるのがとても痛い

憎むことでいつまでもあいつに縛られないで。

 

名曲ですね。きのうバスの中で聴きながらほろりと泣いていました。中島みゆきの「空と君のあいだに」の歌詞なのですが、収録アルバム「大吟醸」の一曲目で、二曲目が「悪女」。ラストに「ファイト!」これは泣かせにかかっているとしか思えないアルバムです。

しばらく精神が低空飛行であり、泣いていなかったのですが久々に涙が出ました。辛いときは悲しい歌を聴いて泣くのもいいもんです。なにが辛いか明文化できないのですが、漠然とした辛さが私の日常を支配しています。薬を飲んでもあまり変わらなくて、これは現状を打開していくしか方法はないのかなと思います。

通信制大学の話になりますが、どうやら来年3月までに全単位取得は難しそうなので、もう一年延長しようかなどと考えています。入学金3万円プラス取得できなかった単位×3500円がかかるので、取れるだけ単位を取ってから臨みたいと思います。

資格が取得できたら早速就活ですが、私の今の状況(一日14時間以上眠ってしまう)ではなかなか負担だなあと思ってしまったりします。でも寛解はあるはずだと信じて薬物療法でできるだけ改善をしていきたいと思います。もう少し抗うつ剤を増やしてエビリファイジプレキサあたりを減薬していきたいかな……といった塩梅でございますが全ては主治医のさじ加減ひとつですので、難しいところですね。あ、でもこないだ増えたピレチアというパーキンソン病の薬は効いています。いまのところ。背中むずむずは治まってきました。

 

最近、母の寿命のことばかり考えてしまいます。現在63歳であります。慢性の白血病ですので、いつ倒れるか分からない状況でして、私喪服ももっていないし、家事も慢性的なうつ状態で全くしていないのです。私が生涯でいちばん愛している母が亡くなったら入院しかないでしょう。両親、または片親を亡くしてしまった人はどのように生き抜いているのでしょう。まだかろうじて元気で仕事にも赴いている母ですが、悪化したときのことを考えて、車の運転の練習や家事の仕方などを少しでも頑張ろうと思います。親孝行ができなくて、それが悲しい。

 

ちょっとセンチメントに浸ったところでこのエントリは終わります。私はまだ生きてゆかねばなりません。毎日死のことが頭をよぎりますが、振り払って生きてゆかねばなりません。同じく辛い思いをされている方が少しでも快く生きていくことのできますように。私も怠け癖を治していきたいです。ちゃんと自己管理できるようになりたいです。

mannnakanikiへ

これは私信なので興味のない方は読み飛ばしてしまってください。

 

mannnakanikiさんへ。いつも熱烈なラブコールをありがとうございます。しかし私には彼氏がいるので応えられなくて残念です。

私はあなたが思うような面白い人間でもなければ救世主でもありません。ただの引きこもりです。ひとに手を差し伸べるほどの余裕はなくて、私にできることといえば日々を生きながらえることくらいです。それしかできないけど、それだけでいいと言ってもらえたら幾分か救われるような心持がします。

あなたは毎日闘病しながらお仕事もなさっていて、家事もこなしていて、とても偉いと思います。いつか私が死んだら遺骨の一部を託しますので、暖かくてきれいな海に撒いてください。大好きなハイビスカスの咲く土地がいいです。注文が多くてごめんね。

お互い幸せに生きたいですね。いつまでも友達でいられると嬉しいです。あなたと話していると浮世の辛いことからいっとき解放された気分になります。

私がベースギターを買ったらいろいろ教えてくださいね。はちゃめちゃになるだろうけど、音楽活動ができると楽しそうです。

mannnakanikiさんのインテリぶりにはいつも感心させられます。社会や文学、歴史のことも、何も知らない私に教えてください。

まだまだ辛い人生だけど、楽しい瞬間を共有していきたいです。